「研究企画総括(日中)」 愛知大学拠点 高橋五郎

今年2012年は、1972年9月の日中国交正常化から数えて40周年の記念すべき年に当たる。1982年、1992年、2002年の過去3度の10周年には日中首脳往来や天皇訪中(1992年)、大規模記念式典などが開催され両国は祝賀ムードに浸った。
この間中国では、1985年の中曽根首相(当時)靖国神社公式参拝反対デモ、2003年の西安・学生寸劇事件反日デモ、2005年の小泉首相(当時)の靖国神社参拝反日デモなどが起き、徐々に激しさを増す気配はあったものの、いずれも大事に至らずに済んできた。こうした多少の軋轢が起きては消えを繰り返してきてはいたが、本来ならば今年もまた、過去3度の10周年記念を上回る祝賀事業に浸ってもよいはずであった。
ところが、である。日本が固有の領土と言い、中国が核心的利益と言い、互いに領有権を主張して激しく対立する尖閣列島(中国名、釣魚島)問題の顕在化は、その期待を完全に奪い去ってしまった。そしてこれまで互いに努力して積み上げてきた、両国のさまざまな分野における交流や共同の利益の源泉が揺らぎ、あるいは打撃を受け、糸口の見えない膠着状態に陥ってしまった。今回の問題は国交正常化以降、日中関係にとって最大の危機をもたらしている。
今回の問題を含め、これまでの関係悪化や危機には一定のパターンを見て取ることができなくもない。それは日中関係を揺るがす問題のすべては中国側が怒り、日本側はその怒りが治まるのを待つ、という構図に立っているということである。逆のケースは、まずない。2010年9月の尖閣漁船衝突事件のときでさえ、日本側は中国側に怒ることなく、怒る中国側に漁船と船員を引き渡した。今回もまた、中国で激しく起きた反日デモや日系企業と日本製品に対する破壊行為や不買運動について、日本側はただ時間の過ぎ去るのを待つという姿勢を貫いている。日中には、「攻めの中国、守りの日本」という関係が出来上がっているのかもしれない。
そしてそこには、今後の日中関係のあり方を紐解くヒントが隠されている可能性もある。つまり日本側が、中国側がなにか怒り心頭に発するようなことでもしない限り、日中関係は平穏なのではないか、という見方を生むということである。日本側に大きな損害を出した、今回の中国における激しい反日デモや破壊行為に、日本政府や日系企業は中国側に対してどんな抗議や賠償請求をしたというのであろうか?壊す方も、それに抗議しない方も、本来の市場ルールから逸脱する行為なのである。
日本側にはやはりなにか、引け目な姿勢にならざるをえない理由があるのではないか、と思われても不思議ではない。この点なにか理由があるのかないのかについても、白黒を鮮明にする必要があると思う。少なくとも第三者の目は、この点に注がれている。
もちろん、日中関係の現実のあり様も理想のすがたも、二国間関係の枠内でのみ想うことは適切ではなく、関係国・地域やさらには世界史的なダイナミズムとの関係を考慮すべきことは言を俟たない。
日中関係を論じた著作はこの40年にかぎっただけでも、内外において非常に多い。日中関係は政治・外交的にも経済的にも、いまや中国が日本に対して優位に立つようになったことは明らかであり、日中関係論の基軸もまたその影響を受け変化せざるをえない。ここに、日中関係論において新しい視点が要請される理由もあろう。こうしたうごきを追いながら、日中関係に関する新しい研究方法やその成果を生み出すことに、いささかなりとも貢献できればまことに幸いである。
この意味で、日中関係の変化は日中と世界における諸々の要因が混合し相互作用して形成された構造的契機自体が、なんらかの原因で変容するところから起きていると思われる。この点は、現在と今後の日中関係のあり方を論ずる際の一つの仮説として位置付けておくこととしたい。